エピローグ☆悪性リンパ腫闘病記

     

エピローグ

 
 手先も生き方も不器用な私は、若い頃から中年に成長(!)してしまった今に至るまで、この世に
 生を授かったことの意味、生きることの意義を問い続けて来ました(現在完了進行形で〜す)。
 
 私は無宗教の人間ですが、あれこれ思索した結果、輪廻転生と魂の存在は信じています。
 人生は絶え間ない修行の場であり、自分の本質たる魂は終わりのない旅を続けているんだと。
 
 そう考えると、この世で肉体的には”亡くなる”としても、魂は永劫に存在します。肉体はいわば
 衣服のようなもので、生まれ変わるたびに着替えるんだとも思っています。
 
  
 
 ★ 生き様と最期 ★
 よく言われることですが、家族の逝去直後、遺族は悲しんでいる間が余りないほど多忙に
 なります。姉と私も、事態がよくわからないまま、親戚に助けられながら父の葬儀を行いました。
 
 「人は、死ぬ時に生き様が現れる」という類の言葉を聞いた覚えがありますが、父の見送りの儀
 (葬儀)は、まさに父らしいものになりました。ジメっとした暗い雰囲気がなかったし、弔問にいらして
 くださった方々は全員、お義理でなく心を込めて来てくださったのです。父の知己、計5人の方々が
 贈ってくださった弔辞も、気持ちのこもったとても暖かい内容で、生涯心に残る宝物になりました。
 読経してくださったお住職が、「皆さん、素晴らしい弔辞でしたね」と言われたほどです。
 
 地味ながら誠実に、利他的に歩んだ父の生き様が、旅立ちの時に凝縮されたような気がします。
 
              ★            ★            ★
 
 葬儀の日、親戚が気を利かせて写真を数枚撮影してくれました。後日、私はシンガポールに戻って
 から、親友に遠慮がちにその写真を見せました。「あら、お花がいっぱいでステキ! 立派な
 お葬式だったのね」などと言ってもらいながら、2人でとりとめのないお喋りをしていた時のこと。
 見終わった写真を手にしていた友人が、突然、「ごめんね……」と言って涙を流し出したのです。
 
 「ど、どうしたの?」とうろたえる鈍いワタクシ。友人は、「突然ね、手がとても暖かくなったのよ。
 何だか光のようなものを感じて、どーしよーもなく、じ〜んと感激してしまったの。ごめんね、泣い
 たりなんかして」と意外なことを言いました。
 
 「そうか、父は光に包まれた天国で幸せなんだ。葬儀の時も、みんなの気持ちが嬉しかったんだ」。
 友人の言葉を聞いて以来、私はそう確信しています。
 
 
 ★ 親戚への感謝 ★
 父にはその人生、特に最終章たる闘病の姿を通じて、多くのことを教えられました。父は最後まで、
 お世話になった病院の皆様、来訪してくれた親戚や友人への感謝の念を忘れなかったし、
 不平不満は殆どこぼさず、時にはオチャメな発言で看護師さんを笑わせつつ、あくまでも生きよう
 という前向きな強い意志を持ち続けました。
 
 そして、父が教えてくれた大きなこと、それは人とのつながりの大切さです。
 
 ハズカシながら、私はず〜っと長い間、親戚にご無沙汰してしまっていたのですが、父の緊急入院
 後は、本当に親戚に助けられました。親戚のお陰で、人生の最も辛かった時期を乗り越えることが
 出来ました。
 
 横浜からの長い道のりを、毎週2回から3回、欠かさず通い続けてくれた叔父、その叔父の訪問を
 励まし続け最期はずっと父に付き添ってくれた叔母、何度もお見舞いに来てくれた従姉妹たち、
 遠方在住なのに入院の報を受けて駆けつけてくれた、鹿児島の叔母・従姉や名古屋の従兄。
 そして、当方からの連絡が遅れたにも拘らず、遠方から葬儀に参列してくれた母方の親戚一同…。
 
              ★           ★           ★
 
 父方の親戚へは、5月15日の朝、朝っぱらから非常識と思いつつ、緊急入院した旨を電話で
 連絡。叔父は、電話から僅か2時間後、バスと電車を乗り継いで病室に駆けつけてくれました。
 あいにく、その日の父は調子が余り良くなく、数時間も病室にいてくれた叔父と会話は殆ど
 交わせなかったのですが、叔父の帰り際、父は漸く口を開きました。
 
 「ここじゃ話も出来ん…」と躊躇(ためら)う父の言葉に、「きっと叔父に、『不肖の娘たち(不肖は
 次女だけですが)のことを宜しく頼む』と言いたいのに、その不肖モノがこの場にいては話し辛い
 のだろう」と思った私は、「私は外にいるね」と言いました。叔父は、「いや、ここにいて」と
 言ってくれました。
 
 父は叔父に向かって、「まだ何年も元気でいるつもりだったのに、こんな病気になっちゃって。
 卓(たかし)のことがなあ……」と無念そうにちょこっと涙をこぼしながら、言葉少なに語りました。
 私が父の涙を目にしたのは、母を荼毘に付した時に続き、人生で2回目でした。
 
 卓叔父は1945年5月28日、ベトナム・ハノイ郊外の東京(トンキン)平野にあったという野戦
 病院で戦病死した、父のすぐ下の弟です。生まれつき身体が弱く、心臓弁膜症を患っていた
 卓叔父は、出兵など無理な身体であったにも拘らず、戦局悪化に伴う兵力不足の状況下、
 1944年に徴兵されました。中国中部からベトナムまで、極寒期に大陸を徒歩行軍した部隊に
 編入された卓叔父は、20歳過ぎの若さで、終戦直前に野戦病院で力尽きました。
 
 慣れぬ異国で、看取る家族もいないまま、ひっそりと息を引き取った卓叔父のことを、父は
 ずっと不憫に思っていたのでしょう。4年ほど前、父はハノイへ弔いの旅に行ってきましたが、
 残念ながら卓叔父の最期を記憶している生存者はなく、野戦病院の正確な所在地も不明
 だったそうです。
 
 私は父と一緒に、卓叔父たちが行軍した道のりを辿りたいと思い、中国語の勉強も始めました。
 父に同行する夢は潰(つい)えましたが、近い将来きっと、中国からハノイへ行こうと思います。
 
 閑話休題、とにかく親戚には大きな恩義を感じています。いつか親戚が困った事態に遭遇したら、
 何をさしおいてもヘルプに参上しよう、と固く心に誓っています。
 
 
 ★ 友人の存在 ★
 自分が困った時にこそ相手の真価がわかる、と言います。父のお陰で、友人の有難さも痛感出来
 ました。父の友人、知己の方々は、お見舞いや弔辞、弔問を通じて、忘れ難い思い出を残してくださ
 いました。ご自身が自宅療養中の元同僚の先生や、遠方在住の方々も、突然の訃報に際して
 心のこもった弔問をしてくださり、とても感謝しています。姉の友人たちも、父の入院中から食事
 などの差し入れをしてくれたり、訃報を聞いた時には弔問や献花をしてくれ、精神的に大きな支え
 になってくれました。
 
 両親を見送った姉と私にとって、親戚はもちろんのこと、友人たちも大切な存在です。
 
 私の友人はシンガポール在住者が多いのですが、父の容態悪化により私が慌てて一時帰国
 する直前、シンガポール人の友人の1人が、こんな話をしてくれました。
 
 「ある日突然、脳腫瘍で余命2カ月と宣告された30歳代の米国人エグゼクティブの実話を、先日
 読んだんだ。残された日々を、夫人と幼い娘のために精一杯生きようと決心した彼は、1日を1年と
 考えて
、1日1日を大切に過ごした。僕らはとかく、目先の些細な事に気を取られて不満を言いがち
 だけれど、大事なことは、今日いちにちを大切に生きることなんだよね」。
 
 この友人は、今の私よりもずっと若い時に、ご両親をがんで亡くしています。だから、末期がんの
 看病がどんなものか、両親を失う気持ちがどんなものなのか、一番理解してくれた友人です。
 入院看病中、私は友人の言葉を思い出しながら「1日を1年と思って大切にしよう」と、自分に言い
 聞かせたものです。
 
 後日談ですが、その友人は私に上記の話をしてくれた時、私の父の回復は見込み薄だとわかって
 いたようです。でも当時は、そんなことはおくびにも出さず、「くれぐれも自分の身体も大切にして、
 精一杯看病してきて。お父さんはきっと頑張られる。祈っているから。辛い時はいつでも連絡して
 よ」と励ましてくれました。
 
  
 
 魂の存在を信じていると言っても、家族とのこの世での別れは、例えようのない喪失感を伴います。
 でも私は、「父ならきっと、我が子が嘆き悲しむ姿は見たくないだろう」と思い、涙はケチって
 上を向くようにしています。
 
 ”悲しい”という感情は、残された私のいわば自己中心的な感覚であり、父のことを本当に想うので
 あれば、今生でそれなりの業績を残し、今は闘病から解放されて光の中にいる父に向かって、
 にっこり  微笑むべきだと、自らに言い聞かせています。な〜んちゃって、ホンネはなかなか
 気持ちの整理がつかず、悲しみから抜け出せず、無気力状態が続いとります……。
 
 葬儀を終えてから10日ほど経ったある朝、姉が庭先でペアのモンシロチョウが仲良く飛んでいる
 姿を見つけました。東京の我が家で、ペアの蝶々を見かけるのは極めて珍しいこと。
 きっと両親が、「いつも傍にいるよ〜ん♪」と教えてくれたのだと思います。
  
 父が静かに息を引き取った時、私は父に「またね!」と挨拶しました。さようならは言いません。
 天国で再会出来るだろうし、来生でもきっとご縁が深いと信じているから。
 
 そして私は、ささやかながら、何らかの形で社会の弱者に貢献出来る生き方をしようと思っています。
 それが、この世に生を授け育ててくれた両親への、せめてもの恩返しになるだろうと信じつつ。
 
                            
 
           Copyright (C) おやっどん、またね! All Rights Reserved.
       
 
  プロローグ
  悪性リンパ腫奮戦記
  セカンドオピニオン考
  転院と緊急入院
  入院看病記
  エピローグ
  運営人プロフィール
  リンク
 
 
 
 
   役立ったら嬉しいにゃ!
   
 
 
 
 
 
 
 
 

 お粗末ですが、楽しんでにゃ!
 

 キー操作 
   肉球だから 
      難儀じゃにゃ

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 南国の 
   隅にひそりと 
      母子像

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 エサ2つ
   なのに1つに
     ご執心

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
  いつ見ても 
    癒し度満点
      ぷくぷく手